知人が亡くなった、らしい。
らしいという部分が引っかかるものの、結構ショックを受ける。
最近色々有りすぎる。
敗北や喪失や奮起やあこがれや欲望や言いのがれ、『息子』の最後の歌詞みたいな誰にでも起こるけれども本人にとっちゃ致命的にスペクタクルな日々は、ついて行くのが精一杯。お陰で頭痛は止まらない。ロックンロールは鳴りやまないっ。
覚悟を決めるタイミングは、いつも一番苦しい時に訪れる。
大好きなレスラーは一杯いるけど、「憧れ」の対象にできる数少ない、一人のプロレスラーの言葉。
じゃあ多分今がそのタイミングだ。
で、何を?
誰が見ても
われをなつかしくなるごとき
長き手紙を書きたき夕(ゆうべ)
『一握の砂』の一番好きな句。
「長き手紙」を、俺も書きたい。
誰にも忘れられたくないし、忘れたくない。だから、芝居を続けたい。この10年、色んなものをダメにしながら、それに気付かずダラダラ芝居を続けてしまった。自分がどこまで本気か解らず、周りに合わせてやっているだけだった。
そこに来ての怒濤。揉みくちゃなりながら、悔しいし淋しいから、そりゃもう覚悟するしかない。
だから、書く。長い手紙を。
芝居を続けるため、俺は書く。俳優だけど、書く。
文章書くこと。俺のパラメータで、唯一自信があること。
役者として誉められた回数より、ブログ誉められた回数のがよっぽど多い。
多分俳優だけでは生きていけないから。それでも芝居を続けるためには、何かしなきゃいけないから。
舞台に立ち続けるには、何者かでなきゃならない。その為の、多分俺にとっての一番の路。
だから生き残るために書く。
手紙を日記を短歌を小説を評論をエッセイを檄文を。
非日常を続けるために書く。
ああ、俺の言葉はいつも大上段過ぎる。
書かないと潰れるから、書かないと塗潰せないから、書く。これでいい。
で、何を?
要するに、生きることが全部だというより外に仕方がない。
焼け野原になったら安吾を読め、だ。
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